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​徒然なるままに
​雲龍風虎

​うんりょうふうこ

双蘭算命学​オフィシャルブログ

雲龍風虎この世は似たもの同士が互いに惹きつけ合うもの。いつかの「想い」が誰かのためとなるように

​うんりょうふうこ

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  • 2022年7月24日
  • 読了時間: 3分

更新日:2023年2月9日



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日頃、算命学を通して色んな方のご相談を受ける中で最近思ったことがあります。それは「金運」についてのお話です。



(こちらはオンラインサロン 天意堂のコラムより一部公開しております)





世の中には金運という言葉がありますが、もう一方で財運という言葉もありますね。この金運と財運は似てる様で、非なるものだと感じています。






金運とは一時的なお金が舞い込んでくる様なイメージなのに対して、財運とは「結果の世界」であるお金が、何かしらの「財源」を所有する、手に入れる、「源泉」の様なものの。つまり根本的なシステムの所有がある前提だと、ここで定義したいと思います。


ですので多くの経営者の方は金運はあまり気にしないですが、自分のビジネスの財運の行方や財の推移(上昇/下降)を非常に懸念されますので、自分の会社が運営するプロジェクトの推移と、結果の賛否を非常にセンシティブに気にかけれています。




ですので、自分の「金運」を気にする方は経営者(及びパートナー)には殆どおられず、自分たちのビジネスの「推移」と「豊穣」つまり「財運」を物凄く気にするということになります。そしてそのために、皆さん出来る限りの最善の「現実行動」をされるわけですね。



一方で、世の中の大多数が気にされている「金運」は前述の「財運」とは大きく異なり、「財源」としての「源泉」ではなく、一時的に「宝くじ」に当選する、一時的に幸運にも何かしらのお金に縁のある出来事に「遭遇する」と言った様な意味合いのものが殆どです。





この場合は、経営者タイプとは異なり、後天的な時間の推移に、さほど収入が大きく影響しない、サラリータイプの雇用形態の場合が殆どになるわけですね。(わたしもサラリーマンだった頃は時運など殆ど考えていなかったかもしれません)




当然、毎月お給料が大幅に変動しては困りますし、サラリーが変動する場合はそれ相応のインセンティブの制度がある給与形態の方だと思います。と言うことで、一応「固定」の収入のため、財源と言う感覚よりも「給与型」となります。



経営者やそのパートナーの方にとっては、自分の人生の紆余曲折がそのままダイレクトに自身や家族、そして従業員の生活を直撃するため、結果的にサラリーマンの方よりも物凄く真剣に算命学の様なものを参考に取り入れる方が多く、古来より算命学は一国の皇帝管轄の「帝王学」の学問なので、自分の経済的な「帝国」を築き上げようとする方の大きなお役に立てるのは、ごくごく自然のことです。




(帝王学なので次期皇帝になってはいけない、支配者としての資質を見抜く話もあり、これが今日の経営学にも参考になるところがあって面白い。)



その中で実は後天的に巡る金運、および財運は、実はその前段階の自分らしくエネルギーを燃焼させて生きているかと言うことと、財運に恵まれやすい時期の、それ以前の段階でどんな種を撒いていたかと言う重要な2つのチェック項目が原理原則として存在しています。




実は金運は「自分らしく生きる」つまり過去のブログ記事でもしつこい程お伝えしている、自分の与えられたエネルギーをきちんと燃焼させているのかに比例すると言うことです。この辺りはオンラインサロン の方で詳しく【深堀解説】していこうと思います→(





与えられたエネルギー燃焼をさせているその「結果」として、精神(自己の内的世界)と現実の行動力の「交点」が物質化した「お金」を手にすることができるメカニズムがあります。





簡単に言うと、きちんと自分が好きなこと、興味を覚えたことを(精神)行動を伴わせる(現実)




きちんとしたお金を生み出す財源があるのが大前提で 、そうした先に「金運」があり、それが「財運」に育っていくのものだと言うことを理解しておく必要があります。




なので闇雲に「棚ぼた」的な金運を願っていても、人生は一向に上向いていかない原理原則を理解することが大切になりますね?





双蘭







 
 
 
  • 2022年7月17日
  • 読了時間: 5分

更新日:2022年11月23日


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先日、日本中に衝撃をもたらした

安倍元総理の銃撃事件




わたしも衝撃を覚え

事件直後はその出来事にショックで

色んな意味で失意していました




それはショッキングな

出来事であったのはもちろんのこと




日本という国がいよいよ本格的に

不穏で危険なフェーズに突入したのを

本能的に察知したからなのかも知れません




算命学で診る限り

安倍元総理のこの件に関しては

色々複雑でして




「業-ごう」による因縁や生前の生き方

そこに加え北方(禄存)が極端に極まった現象など





複雑な化学反応が絡み合っているのが見受けられますがいかがでしょうか




今回の件は一見判りにくく

算命学上級者以上の方でないと

紐解きがかなり難解かと思われますので




少し折りを見て

この件は別途解説したいと思います

(解説動画はこちら)




さて今回は

そんな誰しもに訪れる「死」について




実は算命学を

ある段階まで本格的に學ぶと




死期というものに

大方予想がつくような技術を

会得するものです




だからと言ってそれを

相手や第三者に言うのは

ご法度となります




そのような形で相手を

不安に貶めたなら最後




自分自身が「返気」に遭って

目に見えない因縁を結びかねません




相手に何かしらの

影響を及ぼそうとするのなら




及ぼすと同時に「自分が受け取る」

もう一方の世界を考慮しなければなりません




(これが「一極二元」の宇宙の法則)




これが物事の道理であり

算命学は宇宙の道理を

把握する技術ですので




算命学の担い手がこの様な基本的な

道理を無視することは





大局的に見て結局は

自身の破綻をもたらしかねません





算命学の担い手とは

この様に双方の世界に理解と造詣を

深めながら人に寄り添い

相手の明日を活かす(照らす)道を

示唆することができなければ





本当の意味で算命学の意義を

発揮しているとは言えません





そんな人の死についても

時に推命を及ばせる算命学ですが





実は算命学の高尾義政宗家も

自身の死期を悟っていたことと思います

(理由は後半へ)






ご宗家は生前

算命学が後世にきちんとした形で

受け継がれるには 





正当な學問としての礎を築くことが

必須であると考えられ





算命学の正式な學問としての

確立を目指され

自身の博士号取得に挑まれました





ご宗家を信望されていた

多くの政治家や宗教関係者の支援も

厚かったことも功を奏したのか

しなかったのかは不明ですが





1990年(平成2年)5月29日

駒沢大学にてご宗家執筆の博士論文が

正式に文学博士として

内定されることになります




つまりこの時十分に

権威性」を発揮されたわけですね

(ここが後に重要になります)




逆を言うとご宗家は既にこの時点で

もう自分は長くないと死期を悟っておられたのではないかと推測することができます





(そして内定の連絡を受けた日の夜に、祝賀のディナーにホテルオークラに奥様と向かわれ、帰宅後倒れられたと聞いております)





1990年6月1日享年48歳

あまりにも若すぎる最期でありますが

正にご宗家らしい最後でないでしょうか





ここでようやく今回の

「死して北方に還帰る」お話なのですが





前述しました

算命学をある程度の段階まで學ぶ者なら

死期への推測はもちろんのこと





どの様な最期を迎えるのか

大方、理解することが可能です

(この部分はさほど難しくない技術です)





ご宗家は主星が牽牛星

(堅実エリートの星)

そして北方も同じく牽牛星の方なので





つまり人生の最期(北方)は牽牛的な

名誉名声を預かっての死」に

なりやすいと言うことができます





端的に言うと

亡くなる前に何かしら表彰されたり

権威を預かったり

社会的な地位を確立したり

周囲から認められての死を遂げる傾向にあり





逆を言うと

とてつも無い名誉名声を受けると

もう現世に思い残すことがなく

亡くなりやすいと換言することができるんですね





だからこそ

ご宗家にピッタリの最期ですし

逆に博士号が内定した時点で

ご本人は死期を悟ったと

言えるのではないでしょうか





何とも神秘的で

不思議に思われるかも知れませんが

この宇宙の道理どおりに生きてさえいれば





道理に順じてその様な最期が

適っているんですね





実はかく言うわたしも

主星も北方もご宗家と同じ配列でして




確かに振り返ってみると

人生を通して表彰やコンクール受賞やら

何かしら権威性のある先生や、諸先輩方にもご縁を頂けていたりと




知らずうちに

この星の配列特有の世界を

享受していたかもしれません





そんなこんなでわたしはあまり早く

あちら側へ逝かない様に

出来るだけ志は高く持っておく必要がありそうです(笑)





(わたしの一番大好きな映画が『グラディエーター』と言うのも、正にこの北方が牽牛星らしい理想の死生観を表しています)





とある一つの村において評判になるのも

何かしらの国家権力からの認定や褒賞受賞も

世界に認められるほどの名声を預かるのも

それぞれスケールにこそ違いはあれど

正にこの北方が牽牛星の世界観です





世界に認められるほどの名声と言えば

この度の安倍さんの最期も

後転運で巡るエネルギーは

7月が牽牛星ですので





2022年7月の最期は

名誉を預かっての最後となり




国葬扱いになったことや

世界のVIPから訃報を惜しまれたり




アメリカの有名雑誌であるTIME誌の

次号表紙を飾ると言う

異例の扱いに至った理由も

これが正に「北方牽牛星」の世界であり





2022年7月に亡くなってこその

牽牛星的な称賛のされ方と言え

時違えばこの様な送り方はされません




(安倍さんは北方牽牛星ではありません。北方禄存星が、後天的に巡る7月の牽牛星に循環し、牽牛星が極まるという意味)





北方に牽牛星お持ちの方は

志高く待ち一流の師について學んだり

(長い時間の中で能力を研磨する必要あり)





何かしら権威性のある習い事をしたり

學問を学ばれることをお勧めします





自分らしく生きていれば

自然とその様になっているはずですが





ここに相違がある場合

何も評価を得られない場合

人生は長寿になると言われています





然り生き方を

心したいものです




双蘭

 
 
 
  • 2022年2月11日
  • 読了時間: 3分

更新日:2022年11月23日

門外不出の秘儀


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今回は少しずつ算命学が辿ってきた歴史を

皆さんにご紹介していこうと思います



算命学は数ある人の運命を

解き明かす技術の中でも

知る方が少ない



知る人ぞ知る運命学

であるかもしれません



しかしその発祥は

古代中国を起源とする運命学

の中でもかなり古く



今から約3500年以上前に

高度な文明を誇った殷(いん)王朝に



既にその原理部分の一端を

垣間見ることが出来ます



それから更に千年以上も時代が下り

時は春秋戦国時代



約550年間にわたり戦争が続いた

乱世の時代に



(日本でいうと、

室町時代から現在に至るまでの期間です)



鬼谷子(鬼谷にいる先生)

により体系化され



実際に軍略として

用いられていたと言われています



その後

秦の始皇帝こと瀛政(えいせい)が

中国史上はじめて中華統一をした際に



算命学の中国名である「万象學」を

実践的な軍略として用いたことで

その名を歴史に刻むこととなります



(秦の宰相であった張義は

鬼谷子の弟子と言われているため

秦が万象學を取り入れるに至ったのかもしれません)



これ以降「人を意のままに操る」

と言われるその正確さから



王朝外へ流出することを恐れられ

王朝内に限られた門外不出の秘儀として




覇権が変わり続ける王朝の中でも

変わらず一子相伝で継承され続け



歴代の時の権力者(皇帝)に

重宝されてきた歴史があります





東洋の智の集結



その技術の原理部分は

東洋の運命学の中で随一の

膨大な原理部門から成り立ち




十六原法と呼ばれています


九星気学が

干支学を主とする一原法




四柱推命が二原法

これに対して算命学は




十六原法となりますので

古代東洋の原理部門を網羅する

いわば東洋の運命學の集大成のような特徴があります




そのため

人の運命を見る技術の中で 「人を意のままに操る正確さ」

と言われる所以となりました このようにその特殊な

歴史的背景と




王朝内に限定された

秘儀だったことから


 


日本人に最も馴染みがある

四柱推命や気学などと違い




当時最先端だった中国への

留学生として派遣された




遣隋使・遣唐使によって

日本に伝来することはありませんでした

(陰陽説・五行説・十二支などは伝来)




余談ですが四柱推命の

正式な中国名は子平法といい




江戸時代に長崎で

当時の儒学者であった

桜田虎門から




帝(みかど)のいる

朝廷直属の最高部門の一つ




陰陽道などでお馴染み

土御門家(つちみかどけ)に伝わり




それ以降日本名である

「四柱推命」と名を変え




その後中国古来のものとは

趣を異なる日本独自の発展を遂げ

主に関西地方で拡大したようです

(朝廷と土御門家があるため)


 


算命学のお話に戻りますが




時は清代

映画『ラストエンペラー』でお馴染み

中国最後の清王朝が毛沢東率いる

共産党軍に圧(お)されるまで




王朝内の秘儀であったため

算命学の全貌が王朝の外に流出

することがありませんでした




第十ニ代万象學(算命学)

継承者であった呉仁和

清王朝の外交官であり

(算命学を軍略として外交に使用)




共産党による中国国内での

知識階級の粛清を事前に予見し




もはや国内での万象學(算命学)

の継承は不可能と判断し国外逃亡を図ります




その時外交官であったこともあり

日本語が流暢だったため

長崎の寺院に身を寄せ




そこで後の第13代宗家となる

高尾義政少年と出会うことになります





高尾義政ご宗家の

その類稀なる資質から知識を継承され

晴れて第十三代継承者となられ





二十代で上京され

目白に鑑定所を開業されます




このように中国王朝内に限られた

門外不出の秘儀という背景により

他の運命を解析する類のものと辿ってきた歴史が異なり




古い軍略・運命學であるにも関わらず

日本ではほとんど周知されていない





最も古く最も新しい運命學と

言えるかも知れません



少し長くなりましたので

今日はこの辺にて




次回は更にその後の経緯を

深堀してご紹介してまいります




双蘭

 
 
 

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