自然法則に則るものは美なるもの
2020年に人類が直面した世界的な未知
ウィルスによるパンデミックは
わたしたちすべての人類の当たり前や日常に大きな変化をもたらしました。
当初開催予定であった2020年の東京オリンピックは、開催自体が危ぶまれる危機的状況下で
わたしたち自身も様々なことを考えるきっかけが沢山あった様に思います。
わたし自身はというと、
個人的には熱心にオリンピック観戦をしていた訳ではないのですが
それでもテレビ越しに眺める
アスリートの姿は美しく
思わず涙ぐむ感動が
沢山散りばめられていた様に思います。
どんなことにも次元がある
算命学という学問は何でも
陰陽五行説という古代東洋人が考え出した真理の一つに当てはめこの世の中を考察していきます。
(※真理とは時代と場所と次元と生物や物理的なもののすべてを超越して共通する法則のこと)
この世のすべてを
陰陽と五行に分類しながら
(目に見えることと見えないこと・恩恵と代償・繁栄と犠牲・幸運と不運…etc)
縦横無尽にこの世の
万物を絶えず考察していきます。
そして古代東洋人は宇宙(神)から与えらた人間の本能すら、この五行に分類分けをしました。
その人間が与えられた本能の一つに
〈攻撃本能〉があります。
攻撃と捉えると野蛮で粗野な響きにも聞こえ、文字通り人間の攻撃的な性質として現れることもありますが
人間が明日、更に良くなるために前進していこうとする動力全般を表しています。
オリンピックは平和の祭典と言われていますが
そもそもの起原は
古代ローマ時代に周辺国と戦争ばかりし、争い事が絶えながった人間の攻撃的なエネルギーを
人間の持つ攻撃本能をスポーツという、
心の次元をより昇華させて発揮する場として設けられため
平和の祭典という意味を持つ様になった
と言われています。
双方は共に
”一つの目的に向かって闘争していく”
という人間の持つ〈攻撃本能〉であり
同じ〈攻撃本能〉なのですが
その本能が発揮される行為の裏側の
心の次元に大きな違いがあり
目に見える現実行動に
大きな違いが生まれることとなります。
剛中の美・美中の剛
アスリートが持つエネルギーは
一つの目的に向かって
全エネルギーを傾ける行動力であるため
すべてのスポーツは
〈動〉の中でその真価を発揮する特徴があります。
なぜならそれこそが宇宙(神)が人間に与えられた、攻撃本能そのものだからです。
人と争う、戦争をする、諍いが起こる
中傷する、傷つける
人間社会で度々見受けられるこういった、決して美しくない行為・行動も
次元が違えど人間の持つ〈攻撃本能〉が、自然の摂理からズレて発揮される現象だということが出来ます。
ただ、算命学が説く攻撃本能とは、
常に自然法則に則る正い行いのことを表し
道理に従った攻撃本能は、次第にそこに自然の美しさが宿る道理が働く様になります。
この宇宙は宇宙真理に則るものは美となりまたその逆を歩むものは、
美なるものから外れ
(つまり醜になり美しさが生まれない)
次第に時間という淘汰によって滅んでいくという自然法則が働くことになります。
(「偏するものは一代、中庸は末代まで」という法則に則る)
そんな中でオリンピックに出場する様な
世界屈指のアスリートは
日々並々ならぬ自己鍛錬と
一つの目的を遂行するという本能が
極限まで濾過された結果
見るものに本能的に深い感動をもたらすという道理に従った美しさが伴う様になり
それをみるわたしたちは
“理由がわかないんだけど
なんだかとんでもなく感動する!”
という人間の純粋な美しさに
度々遭遇することになります。
尊いものって、本当に凄いことって
見えない部分の層がとてもぶ分厚いので
何だかわからないけど感動する!
という感覚のものになりやすいですが、
それを理論的に説明できるのも
算命学の深さと面白さであったりします。
戦争をするのも
人と諍いが絶えないのも
そして相手を傷つけるのも
人間の持つ〈攻撃本能〉ですが
すべての事柄には〈次元〉が存在し
見る者に深い感動を与え
美しさすらをも感じさせる
アスリートの直向きな姿勢もまた
人間に与えられた同じ〈攻撃本能〉であり
共に次元の異なる攻撃本能なのです。
ならば、わたしたちに与えられたその本能をどの様に表現するのか??
それはわたしたち一人一人の
〈自由意思〉によって
委ねられているわけです。
意思とは意志
意思とは意志のことで
志という帆を心に立てその方角に進むことです。
意思あるところに道が開ける
とよく耳にしますが
その真意は
自分はどう生きるのか?という
方向性を明確にし
心に帆を立てる生き方のことです。
風(時)を得ればグングンと人生が
その方向に進んでいき
また風(時)を失うと
人生の忍耐の時となります。
そこには目指す自分の姿へと
一歩一歩実践(行動)していく
人間に与えられた〈攻撃本能〉
の姿があります。
どんな自分で在りたいのか?
万物は自然法則である道理に従い
道理にに則るものは
次第に美しさが備わる自然の道理が働き
美しい生き方、自分の美学
そしてそれが時を得ると
周囲からの評価に繋がるようになります。
それぞれが心にしっかりとした帆を張り
小さくも一歩一歩
明日良くなるために
前進(攻撃本能)していくことの
重要性と尊さを
東洋思想がわたしたちに教えてくれています。
その方向に
人生が進んでいくものですもんね?!
(意思ある所に道が開ける)
深遠な東洋思想・哲学が
皆さんの日々のお役に立てましたら幸いです。
最後までお読み頂き有難うございました。
双蘭