バラの木にバラが咲くことの「不思議」
ただ今、算命学のお教室では「天中殺理論」に突入しています
天中殺は意外に奥深く、ご宗家も『原典算命学大系』全11巻のうち、二冊分(全770ページ)に渡り解説されているほど(第八巻P440, 第九巻P330)
簡単に杓子定規に捉えられない、深い構造をしているのが天中殺のお話しです
あまりにも膨大すぎるので、ご宗家ご自身もお弟子さん方に伝える際、誤った安易な解釈を避けるようにとのことでしたが
そもそも天中殺は暦の製作における「副産物」的な発見がもたらしたもので「天中殺理論」を端的に言うと人間が先天的に与えられた「欠けと傾斜」の理論のことです
(原典の中でも、ご宗家自身が長年に渡り「天中殺理論」をお弟子さんに教えるのを躊躇っていたことが書かれています)
天中殺は人生の「方位」の道標
先ほど天中殺は「欠けと傾斜」の話だと申し上げましたが
別の言い方に換えると、わたしたち人間が「生きる」うえで、この「宇宙の摂理」を知る道標のことです
わたしたちは人生において何も「欠ける」ことなく生きていると、この深淵なる宇宙の摂理に無頓着になるもので
人生に躓く経験をして初めて
「なぜこうなるのか?」「何を間違ったのか?」「何が悪かったのか」自己を鑑みるようになるためです
(算命学を學ぶ方の多くが、人生に苦難や葛藤が多い方な理由がここに通じており、なぜ人生がこうなるのかと考えるところに、目に見えないこの世の摂理に初めて心が向かうことになるからです)
わたしたち人間は当たり前の中から学び難く、自分の人生があまりにも上手くいき過ぎていると、人生において精神的なものを学ぶことが少なくなってきます
そこに「当たり前」を何とも思わない人間性が出来上がいかねず、そのため自然の摂理として、あえて先天的な「欠け」を与えることで
現実で上手くいかない出来事の中より、人間の心が「自然の摂理」を学ぼうとする道に向かうようになります
天(宇宙の摂理)は、人間が自然の中で学ぶ分量よりも「不自然の中」で学ぶことを多くしているところに「天中殺」の意味と意義を垣間見ることができるはずですが、いかがでしょうか?
わたしたちは多くの場合で「失って」はじめて、当たり前に手にしていたものの価値に気づけるようになりますよね?
これが失った経験の後に「精神的なことを考える」ようになるということです
ここが天中殺の原理構造であり、わたしたちが先天的に「欠けた」部分があることにより、現実の中(物質世界)で「上手くいかない」「なぜだろう」と自らが人生を考う道に進み
その「上手くいかない分野=欠け」とは「真逆」の世界に進むことで、そこに「真の人生」を生きる筋道が生まれることになります
失う前に、当たり前のものの中から學べるようになるのが賢者への入り口ですね
人生は「足りない」ところに生きるヒントが隠されており、それを教えてくれるのが天中殺です
皆さんの善き道標となりますように
『バラの木にバラの花が咲くことの「不思議」こそ、人間は目を開かなければならないはずであります。ところがその当たり前の出来事からはなかなか学びとれないのが人間なのです』
高尾義政・著『原典算命学大系』より抜粋