新年の幕開け
まもなく2月4日を以って「立春」となり新たに一年が始まってまいりますね
算命学の道に進んでからというもの、気づけば幾年も経過していて、その中で着実に確実に人間の「中身の年輪」が柔らかく嫋やかに、それでいて強固なものになっている実感があります
今年も「やりたいこと」「やるべきこと-役目」を一日一日確実に積み重ねていくつもりでいます
それがわたしの人生の「守護神」の一つだからですね
(※守護神法:人生に「中庸」バランスをもたらす技法)
算命学はどこまでも『無為自然-muishizen』を目指し、この『無為自然』とは「あるがままの自然な姿」のことです
「あるがまま」とは、わたしたちが与えられた天賦の資質をそのままに「磨き全うして生きる姿」のことです
一見シンプルですがシンプルなものほど実に奥深く、それゆえ時に大変な困難さを伴うことが少なくありません
現代人は「陽転」している人が少ないと言われていますが、いかにこの『無為自然』な「あるがまま」の「自分らしさ」を体現して生きることが現代において非常に難しいか、近頃の耳にするニュースの内容を思い起こすと、理解できるのではないでしょうか?
(陽転を逸れる=陰転:本来の先天的な「資質通りの生き方」を逸れる結果、好ましくない人生航路に進み、結果として生き方に歪みが出る姿、命式のエネルギー燃焼を逸れる生き方)
わたしたちは日々、自分以外の人や社会の「こうあるべき」という枠組みに押し込められがちです
生まれてきてから「普通」とか「一般的」という「枠」に当てはめらて「測られる」ことに慣れているわたしたち現代人ですから
「自分らしさ」の意味がわからずに、往々にして生き方を「見間違う」ことが多くなり、その結果自分らしさから逸れて生きる「陰転者」が多くなり、本来の人生の道筋を逸れる「不自然な生き方」が副産物に歪な人生や、時に犯罪行為まで生み出し出すのが陰転の代償です
(陰転:自分らしい生き方から逸れた結果、人生に歪みが生じる人)
花は野にあるように
『花は野にあるように』と言ったのは茶の湯の千利休です
野にあるように「あるがまま」を損ねないように、少し人の手を加えてあげることで生来の美しさが引き立つようになる
そんな教えです
算命学もこれに同じで『無為自然』とは、野に咲く花を体現する如く
生来の「気質」のあるがままを、あるべき姿のままに伸ばしてあげる、お手伝いをすることです
「あるがまま」は「わがまま」とはまるで異なります
「強い者」は強い本来の資質を生かすべく、険しい世間や社会の中で大いに揉まれ、よく研磨されるところに、生来の「強さ」が真価を発揮することができますし
天性の強さが研磨されず、自分の欲望のままに「甘やかされ」「楽な方へ」「自分さえ良ければいい」と過ごすのは『無為自然』な「あるがまま」とは対岸の世界です
新年2023年もいよいよ4日から始まりますので、自分の中の甘言(甘い誘惑)を誘う「鬼」を一風し
真の「役目を全うする道」に進めるよう、共に『種子-まめ』を撒きしていきましょうね
その先に『花が野にあるように』生きる道につづいてるはずです
皆さんの元へ善き福が訪れますように
双蘭
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