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徒然なるままに
雲龍風虎

​うんりょうふうこ

​双蘭算命学オフィシャルブログ

『雲龍風虎この世は似たもの同士が互いに惹きつけ合うもの。いつかの「想い」が誰かのためとなるように

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  • 執筆者の写真双蘭

文字通り躓きました

更新日:2023年2月20日








現実の躓きから學ぶ戌亥天中殺


最近は生徒さんの算命学の授業が「天中殺」に突入したこともあって、ブログでも天中殺について書き連ねています




前回、天中殺は「現実の躓き」を通して心が「精神的なものを考えるきっかけ」をもたらす、人生の道標だとご説明してきましたが





そんな中つい先日のこと、寝ぼけながら実家の階段をヨタヨタと降りていたところ、マンガに描いたように見事に足を滑らせ、生まれて初めて階段から滑って尻餅をついてしまいました(苦笑)





いや本当に笑えないくらい、声にならない激痛で、「イッタァッッ…………」という具合で正に一連の動きが漫画のようなスローモーションの世界で





この歳まで階段で足を滑らせることも無く無事に過ごせてたので、何だか新感覚です(驚)





注釈] 新感覚とは、突いた尻が「酷く痛む」の意味です





はて?どんなものが巡っていたのか?気になったので調べてみると東方の「納音-なっちん」でした

 



(一日の「スタート/東方」である起き掛けに転んだわけですから、東方の納音の影響でしょうか)





納音とは算命学でいうところの「位相法」という、わたしたちの人生にもたらされる「現実現象」をみる技法のことです





位相法は非常に重要で、これにより「どんな一年」となるのか?予測可能ですし、二人以上の人物の「相性」をみる際にも必要不可欠で、精神的なわたしたちの「心」の世界を抜きにして「現実現象」の行く末をみる際に活用します





さて、この「納音」は「対冲」の5倍 (5オクターブ)の破壊現象をもたらす位相法ですが、良し悪しではなく、良くも悪くも現実の「何かを納める」働きがあります





※対冲: 散法の一つ。現実に躓く現実を意味し、対冲が巡ると物事が上手く行き難かったり、上手くまとまらず、現実的に用心深さが生まれるため、逆に用心深く、何かを細かくまとめようとするには◯





自分の状況が悪い方に傾いている最中でしたら、その下降する現実現象を「納め」「リセット」する作用がある一方で、上昇気流に乗っている最中であれば、逆にソレを「納める」訳ですから、現実の好調さに終止符が打たれることになります





ビジネスオーナーでしたら東方(社会・仕事の場)に納音が廻ると、好調なビジネスの流れに波乱をもたらしますし、絶不調な運気にあっては「仕切り直し」に助けられるかもしれません





お気づきかもしれませんが、このように宇宙に「巡る・廻る」現実現象は吉凶はなく、あくまでも大自然の摂理からすると「中立」というバランスを保っていて





それが現実に生きるわたしたちからすると「主観的」に良し悪しに捉えられるといった構造になっています





わたしたちは少しでも長く幸せに「長寿」でありたいと望む一方で、何万何十万年もの命が続けば「まだ死ねない」とため息を漏らすかも知れません






現実の破壊の前の「前兆」

これまでは位相法(納音)についてお話していましたが、加えて天中殺別にみる「現実の破壊現象の前兆」というものがあります





横線の東西が「虚」となる寅卯天中殺と申酉天中殺、そして中央の足元の現実が「虚」戌亥天中殺の3種は「運が落ちる前」に必ずその前兆として、現実現象に躓いた後に、精神的苦難(精神的に思い悩む)に向かう、という構造的な法則があります





逆に、精神線である「南北の欠け」である子丑天中殺、午未天中殺、加えて「天上欠け」の辰巳天中殺グループにおいては、「精神的」な「心に傷を負う」できごとに端を発し、その後、現実苦が訪れるという構造をします






戌亥天中殺のわたしも、文字通りこの第一段階である「現実の躓き」の時点で、氣付くことに大きな意味がありますね




「足元を一歩一歩きちんと踏みしめ丁寧に生きよ」とのメッセージと受け止めて、また精進し直します





〔続〕





双蘭

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