一年の「立志立命」の前の邪気払い
本日は「節分」です
節分とは「太陰太陽暦=旧暦」において、明日の「立春」から「新年」が始まるにあたり、その新年の「前日」において、心身ともに「邪気払い」をする風習のことです
ここでとても重要なのは「心」もということですね
わたしたちは文化的な風習として『鬼は外、福は内』と言いながら(ただ何となく)豆を撒いていますが、実はその習わしの奥に、物凄く「深い意味」が隠されています
知られざる鬼の所在
わたしたち現代人は「鬼=不運」はどこか自分の「外側の世界」からやってきて自分に「不幸・不運」をもたらし、その結果として、人生が立ち行かなくなっていくと思いがちですが
そもそも「このような考え方」でいるところに「不運」がやってくる原因が垣間見られます
なぜなら「鬼」とは「わたしたち自身」だからです
・・・
「鬼」という漢字は、漢字の原型である「甲骨文字」の「甲-こう」「乙-おつ」という文字が合わさって生まれたと言われています
※甲骨文字:亀の甲羅や動物の骨に彫って刻まれた文字
契約書で「甲乙」という文言を目にしますが、これは今から約3500年以上も太古(古代中国の殷王朝)の「甲骨文字」を今日まで変わらず継承して使用しています
そしてこの「甲乙」には「甲=わたし」「乙=わたし以外のみんな=相手」という意味があります
つまり、この「二文字」が「鬼」であるということは、「わたしたち人間」が「鬼」でもある、という意味です
では一体、その「鬼」はどこにいるのか??
それは、わたしたち(甲乙)の「内側」に潜んでいます
鬼は外、福は内
相手を羨む心
相手を妬む心
相手に責任を押し付ける心
甘言を囁き相手を陥れよとする心
二枚舌(ウソをいう)で欺く心
自分さえ良ければいいと思う心
自分の立場を守るため恐怖で相手を支配する心
etc...
これを東洋思想の壮大な「宇宙の理」のスケールで描いているのが『鬼滅の刃』ですね
(最近またゆっくり読み直していて、作者のこの世の摂理への造詣の深さに心震えて、いつも同じところで涙しています)
誰の心の「内側」に潜む鬼を「滅す意識」本日【節分】であり「清め、禊払い」をし明日の新年【立春】に挑みます
そのために「豆」を撒きます
自らが「立志立命」したところに(=豆を撒く)「芽」がでるからです
それを秋(=時の経過の果てに)に刈り取るのが「自分」だからです
人生に以前に蒔いた種子の「結果」を刈り取らざるを得ないのが人生であり、この部分の「構造」をより具体的に解明しているのが東洋の運命学(=算命学)なんですね
つまり【節分】とは「円環する宇宙の構造」と「すべての有は無から生じる」という法則から生まれた東洋圏に見られる風習と文化です
(万物は、何もない「無=精神」から出発し、「有=物質=現実の結果」を創る)
本日は「心の禊払い」をし、望む「明るい未来」のための「種子」を立志立命「蒔いて」いきましょう
それを育てるのは「時間」ですね
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✔️蒔く-maku:時間の経過が植物の育成に繋がる
✔️膜-maku:植物の外皮。自分の「殻」を「内側」から突き破る
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