只今、算命学のお教室では「現実現象」を読み解く技術である、陰占『位相法』に突入しています
日頃から、扱う技術に合わせて実例を取り上げながら進めており
今回の「位相法」の実例には歌舞伎俳優の市川猿之助さんのこたびの事件も取り扱っています
そこで、猿之助さんの事件で一つ感じたことがあります
誉れ高い歌舞伎の名門家元が一家心中を図られた今回の事件
書きたいことは色々ありますが、自殺未遂を図った挙句に本人が「死ねなかった=存命した理由」について
命式とご本人の活躍の経緯を照らし合わせてみて一つ確信したのは
命式の消化度合いが本人を「生かした」ということです
只今、オンラインサロンの方でも(★)
「人の生死を分ける」本質的な法則についてコラムで解説していたのですが
(コラムタイトル『生死の法則:自然淘汰を超えていけ』)
この自然の摂理における生物の本質的な「生死」は、人が生まれるのも、亡くなるのもみな自然の摂理の因果があります
その中で自ら死を選んだ者が「死ねなかった」というのも、それ自体が自然の摂理の中で大きな意味があり
それゆえに東洋人は生きることについて古来より「生かされている」という表現をしています
哲学的な意味だけでなく数学的・生物学的な意味でも本当に「生かされている存在」なのがわたしたち人間です
それは天と地の「狭間-はざま」の因果です
つまり、生かされていること、生きることの究極の理由は宇宙的な「自然の摂理」においてまだ課された「役目」があり
今回の猿之助さんが自死を望みながらも「生かされた」理由は
それはそれまでの「命式の消化度合い」が非常に順当な要素が(=命式の大部分の要素を消化しながら生きておられた)決定的な生存の決め手となったのではないかという算命学的な見解です
また猿之助さんと同様に位相法における「東方半会および西方天剋地冲」のめぐりで命を落とされた、冒険家の植村直己さんの命式を眺めていたところ
現実現象において(位相法)同じ運命の働きがあるのにお二人の事例で「生死」を分けた本質的な理由は
それは命式の消化度合いと、生き方の矛盾だったのではないでしょうか?
植村さんは、世界初五大大陸最高峰登頂、世界初犬ぞり単独北極到達など、数々の偉業を達成された方で、冒険の最中、43歳の若さにして登山中のマッキンリーにて他界されていますが
「冒険家」の生き方は本来の命式には違和感がありますし、そうなような人生に至った経緯も色々お見受けできる因果が大運(10年単位の人生の推移)にあります
猿之助さんと植木さんの事例を通して誤認してほしくないのは、西方の天剋地冲が必ず命を落とすと言うわけでは決してありません
ただ起こることのすべてには、計り知れない意味があり、その計り知れない深淵な意味を「推しはかる技術」が算命学ではないでしょうか??
皆さんも「命式の消化」は生きる上で絶対必須ですね?
すべての人の人生が無為自然の営みを送ることができますように、その一端のお役に立てますように
双蘭
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