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​徒然なるままに
​雲龍風虎

​うんりょうふうこ

双蘭算命学​オフィシャルブログ

雲龍風虎この世は似たもの同士が互いに惹きつけ合うもの。いつかの「想い」が誰かのためとなるように

​うんりょうふうこ

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更新日:2023年8月19日





お盆休みで、コロナ以降4年ぶりに日本に帰国した弟夫婦が実家に帰省し、わたしもそこへ加わり、久しぶりに”おばさん業”に精を出し、子どもたち中心の嵐のような怒涛の盆休みでした



(甥っ子は『貴幼法』車騎(北方)×天将星で基本ノンストップの無尽蔵な体力、1歳児の姪っ子も止まることがないモンスターそのものでした)




実は姪っ子は「母親の天中殺に生まれた子」であり、そこに漏れずに「親の天中殺に生まれた子」特有の現象がハッキリと観察できた機会でした



(余談ですが、そんなわたしも何を隠そう、母の天中殺月に生まれた子です)




基本的に天中殺時期の出産は、親子が「異性」の場合は特段の心配は入りませんが、「父親の天中殺期間×息子」「母親の天中殺期間×娘」が共に現象化がされやすいと言われています



なぜなら、を掛け合わせると+である「」を生み出し、を掛け合わせても+を生み出し、+はすなわち「動」であり、動力としての「現象化」をもたらすからです




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この辺りは有料コンテンツ

『秘伝:天中殺100選』でも現象と対策を解説しています

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母親(-)の天中殺期間に女児(-)が生まれると、+に転じて「現象化」がもたらされた先に、子どもが母親に引き寄せられすぎて、端的にいうと親離れできない子どもになると言われています



実際、姪っ子も少しでもママが見えなくなるとギャン泣き一辺倒で、わたし含めた周囲の大人が非常に手を焼きました



そんなわたしも、思い返せば幼少の頃は同じような状態で、母の姿が見えなくなると途端に泣いて不安に駆られる子どもでしたね




ただわたしの場合は、親からの物理的自立は相当に早く、小学校を卒業と共に早々に親元を離れ寮生活をしていましたので、「親離れ問題」を自然と回避できた幸運に恵まれたように思います



一方で、現象である「子ども(女児)が母親に引きつけられすぎて親離れできない心情」というのは、実体験として物凄く理解ができます



個人的な感想としても「母親=自分の世界のすべて・羅針盤」のような感覚が、初期設定として存在しているかのような感覚が子どもの頃は特に強かったように思います



わたし自身は幼少期において「自分の興味のある世界」を見つけた先に、それに導かれるように自然と物理的に「親元を離れる」道に向かいましたが



はやり「親の天中殺期間中にお生まれになったお子さん」は、遅くても18歳までには、きちんと親元を離れる方が本人の自己確立(=社会で活躍する気運を形成)には良いと思います




なぜなら物理的な別離はそのまま、精神的な自立を促し、それが今日の自分自身に多大なる影響を与え、自分という人間の礎くからです




もちろん引き継ぎ運(寅卯天中殺・申酉天中殺・午未天中殺)や、天将星や天恍星、龍高星などの離郷必須の星がない命式であれば無理にとは言いませんが




それでも親元を離れることはすべての人間の自立をもたらしますので、そういった意味では実家暮らしが普通にまかり通る地方の方が、真の意味での自立と命式消化が損なわれているケースが多いように思います




親元を離れ生きていると「相剋=現実の鍛錬・研磨」に否応なしに晒されるので、その先に自己の能力開発が促され、人生に工夫する知恵や、現実を渡り歩く処世術が身につくようになります



さて、わたしが算命学に縁をして以降、通常であれば見過ごしてしまう裏の「因果」に理解が及ぶようになった先に、なぜわたしが「自然と自立の道に進んだのか」という理由を考えると、やはりこそには親やご先祖様が積んできた「績徳と陰徳」という、自分以外の人の恩恵を考えずにはいられません



実は天中殺の時期のような、誰しもの人生に訪れる「危険な時期」の危険回避や、「改良が難しい命式」の方が、真っ当な道に進む際の、人生の「首の皮一枚」の良否を分ける導きの要素として「績徳と陰徳」の話を避けて通ることができません



わたしたち現代人にとって「徳」を積むなどと聞くと、もはや科学が未開の古代の迷信・妄信のように感じられるかも知れませんが



ここには一切の情を排除した、古代東洋人が冷静な視点で導き出した「宇宙の構造的な論理」が存在しています




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この辺りは過去にオンラインサロンの方でも「績徳と陰徳」の大切さについて、論理的に解説していますので、気になった方はサロンの記事を参照ください


【オンラインサロンコンテンツ】

『幸運の法則?「陰徳ある者は善報あり」その真意とは』→

『天中殺事典100選:親の天中殺に生まれた子』→

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眼に見える世界において現象があれば、その因果は眼に見えない世界において存在しているのが、この宇宙を普(あまね)く貫く「一極二元論」の陰陽の真理です



人はそういう見えない導きに、首の皮一枚で救われる経験をして初めて、己の傲慢さや、不甲斐なさの果てに、この世が眼に見えることのみで成り立っている訳でない、「自然の摂理」に畏敬と畏怖の念を覚える、色んなことを知覚していくのではないでしょうか?


そういう因果が本当の意味で解らないうちは、まだ道半ばであろうということで、人生はわたしたちが思っている以上に、この眼に見えない陰徳が「積み重なった」or 真逆の要素が「罪重なった」因果の現象化が大きいと実感しています




わたしたちが生物学的に肉体が遺伝するのと同様に





実は親やご先祖の「生き方」が子や孫の命式に遺伝するのを、わたしたちはまざまざと日々多くの方の命式を紐解くことにより、自然の摂理から見せつけられています



だから理路整然とした、理性的・論理的な算命学の世界に身を投じると、次第にそこに理論を超えた「自然の摂理」の厳かさと確かさに畏怖と畏敬の念を感じる方が少なくないのは、徹底した理論を學ぶと真逆に転じるからです




わたしもそんな一人です




古代東洋人が編み出した、論理的な世界に身を置いた先に「陰徳・績徳」の力を理解するに至ったわけです



それを然り学ばせていただけ、自分の人生の体験をもってして咀嚼する「術」が算命学の学びの真髄でもあろうと思いますので、みなさんの日々の暮らしを、より丁寧で豊かさに溢れたものとなるよう、引き続き叡智のお裾分けに心を配ろうと思います




双蘭




有料コンテンツ『秘伝書:天中殺事典100選』 天中殺期間中の「結婚」「出産」「起業」「不動産購入」「経営」に起こる現象とその対策を100種類に渡り解説しています



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東洋思想コラムと月一の勉強会にて、人生をより豊かに深める「智恵」を皆さんに紹介しております。算命学をお勉強されていない方でも大丈夫なようなコラムを配信していますので、お気軽にご参加ください




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更新日:2023年8月18日





Gifted-ギフテッド」と呼ばれる子どもたちをご存知でしょうか




幼少期より、とある分野に対する強い知的好奇心と才能を持つ子どもで、高い能力と才能それゆえに、現場の学校生活に馴染みにくい傾向があり




ギフテッドの子どもたちに対する、環境整備と対応力の遅れが現在(いま)問題になっています





アメリカなどの先進国は飛び級制度があったりと、以前からギフテッドの子どもたちの教育への支援は整えられていますよね?





この話は「普通」という「枠のある世界=制限のある世界」に閉じ込められることで、才能を潰してしまいかねない、宿命天中殺所有のお子さんや、異常干支をお持ちのお子さんの子育て方法にも繋がっています





子どもが縦線の「無形世界の才能」を持つ場合、つまり学問・芸術などの何かしらの才能を所有する場合、大体12歳以内にはその才能の片鱗が顕著になる傾向があり





この時、お子さんの得意分野や才能が特定の分野に向かったとして、加えて学校に馴染みにくい、周囲と歩調を合わせにくいという場合





無理に「周囲に合わせようと」するのではなく、お子さんの「好き」という感情が知らしめる知的好奇心の方向への「環境整備」が親御さんに望まれます




どういうことかというと、




多くの場合でこのような特殊才能が顕著になるお子さんは、それ相応の「因子」を持っているもので、その因子とは何かというと、算命学でいうところの宿命天中殺or異常干支所有の確率が高いということです



前述の通り、宿命に天中殺や異常干支を所有するお子さんを「普通」だとか「一般的なモノサシ」に当てはめて子育てをすることこそ、その子の才能と人生を潰してしまうことになりかねず




ここを伸ばしてあげるか、無理に周囲と歩調を合わせさせて押し込めるのかで、その後の人生が大きく変わってしまう原因(悪い方向に)になりかねませんので特段の注意が必要です




世の中には「平均的な普通の役目」を担っている人と、その普通から逸脱して「新たな境地を開拓する役目」を背負う人がいて



前述の、宿命天中殺と異常干支所有のお子さんは、完全に後者の役目役割を担った者であり、その特異な才能を(=得意な分野)そのまま素直に環境を整えてあげられさえすれば、自然と役目を果たし得るものですが


この時、親御さんが「普通の世界」にこだわる場合


つまり他の子や、世の中の平均的な価値観に子どもをはめ込もうとする場合、徐々にその子どもは自分らしさの発揮が低下し、人生の可能性の芽が摘まれてしまいかねません



(本来、高いジャンプ力を持つノミが、小さな箱に一定時間押し込められた先に、その高いジャンプ力を失う話に通じていて、世界の大谷翔平選手や、イーロンマスク、前zozoオーナーの前澤さんなど、規格外の方の多くはこれらに該当します)


本来、平均値から大きく逸れる「普通じゃない特殊才能=天才的=異常性」の感性のある人を「普通の環境」に留まらせておくこと自体が、さらなる異常性(=平均的な人から理解されない異質感)を高めることに繋がり


平均値から大きくそれる才能や特異性を所有する人が「異常な環境=普通ではない環境」を用意されさえすれば「異常×異常=普通」といった具合に


かえって本人は「普通」に落ち着くものです



これは天才的な子どもが、他の天才的な子どもたちが沢山いるような環境を用意されると、その子はかえって、天才的な集団の中における「普通の子」になる、といった風景をイメージして頂ければ分かりやすいと思いますが



特殊才能を持つ子どもたちの中にあっては、単にみなと同じような「普通の子」ですよね?かえって、こういう集団の中に「一般的なごく普通の子」が入り込んでしまうと、逆にその普通子の方がかえって「異常な子」になってしまうということで、つまり




普通と異常(=特殊才能)の基準は「環境」だということです





つまり、何か特殊才能を持つお子さんの教育方針でお困りの親御さんがおられましたら、平均から逸れることで生まれる弊害で、悩まれることが沢山おありかと思いますが



「普通という小さな世界」に当てはめない、別のモノサシが必要であることを念頭に置かれることをおすすめ致します



世の中を見渡せば、素直な才能発揮を辿る子は少なく、多くの場合で自己を殺して周囲に合わせることで先天性の良さが潰されてしまい、大人になっても人生が稼働していないケースが散見されます


人間は環境で造られるという事実


そういた意味で戦後教育は「人間ロボット工場」だと言えるかもしれません



双蘭



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算命学は道理の学問


このところ、東洋と西洋占星術の違いについてご質問が重なったので、改めてここにこの違いについて①概念的な違いと②具体的な歴史的経緯について、複数回に分けて言及しておこうと思います



①概念的な違いの、結論から先にいうと

「物事の道理を処すことができる思想哲学」の所有の有無についてです



これはどういうことかと言うと





未来を推測したり、この先の時代や人生のいく末を推察することができる、という観点のみに着目すると、両者ともにそれぞれの技術の集大成であることには変わりないのですが



東洋の運命学の最大の特徴は

この世の森羅万象を、道理の観点から分類し、政治経済、軍略、処世術、経営、など人が「生きる」ための行為全般に活用することができる「思想哲学を所有する」という最大の異なりです



例えば、ある人が恋人にプレゼントをしたとします



ある時、恋人同士の喧嘩をした際に、それならば(=君がそのような態度に出るならば)以前渡したプレゼントを返せ、と言い放ったとします



この時点で「道理の道筋の心得」をもつ算命学の素養がある場合、この人物は真に自己確立をした、自立した人物ではないことが、自ずとと推察することができるようになります



これは「物事の道理」に理解が及んでいると、起こりうる事象現象を本来の「自然の摂理がもたらす道筋」に則り、ものごとを見立て、処していくことができるようになるため



前述の発言は、真に自己確立した者からは決して発せられない類の発言であり、

また「真に自己確立」できていないゆえに (=人間の真の自立と自己確立を意味する貫索星の不完全さ)



人間関係の中で「与えたら与えっぱなし」という「無我の境地」に至れない、ゆえに (=相手に依存しない孤独の世界の調舒星の不完全さ)



「与えること」のみにフォーカスすることができずに、常に「与えること」のその裏に条件が介在していて、与えっぱなしの境地に至れない、それゆえに相手からも「貰おうとする」姿が働いている姿であり (=与えたら与えっぱなしの奉仕の心を意味する禄存星の不完全さ)



つまり、これらのことから「真の人間力と魅力・引力本能」を発揮することが出来ない人物であること判るようになります


自然の道筋である「道理」を理解している場合、この人物とこの先も共にいることで起こり得る『その先』の未来に予想に検討がつく、故に「未来が予見できる」ようになるのが東洋の運命学であり、





東洋の未来予知と推命の技術が、

常に思想哲学と二人三脚して歩んできた道のりが何となく理解できるのはないでしょうか?





よって、東洋思想と運命学は「道理の学問」であり、これが東洋と西洋の未来予測技術の最大の異なりです





その中でもとりわけ算命学は、古代中国において、500年以上もの間戦争をし続けていた乱世において、実際の「現実の具現化」のための下剋上のため、戦争に勝つために活用されてきた「軍略」の側面が強く、皇帝の帝王学です



算命学を始めとする東洋の運命学が

「運命学にあって運命学のみに非(あ)らず」といった特徴を、なんとなく想像いただけたでしょうか?


いずれにせよ、東洋と西洋ともに真理を探究しているのであれば、山を登るための「入口」が異なっていたとしても、頂きである山頂から眺める景色は「ただ一つ」です



万が一、その風景に異なりがあるのならば「どこかが」または「どなたかが」まだ「山頂に登りきれていない」ということを意味しています



"道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じだ

時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも

必ず同じ場所に行きつく"


『鬼滅の刃』

始まりの剣士」縁一(よりいち)




いつの時代も、どんなジャンルであろうと

「極めたもの」が観る景色はただ一つです



そこのアプローチにはごまんと方法はありますが、

未来予知の技術は、算命学が持つ要素の単なる一片に過ぎないことを、算命学を帝王学として学び進める方々は自ずと体験するのではないでしょうか?




引き続きまた

②東洋と西洋の占星術が辿ってきた歴史的な背景とその違い

について言及していこうと思います



双蘭



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