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​徒然なるままに
​雲龍風虎

​うんりょうふうこ

双蘭算命学​オフィシャルブログ

雲龍風虎この世は似たもの同士が互いに惹きつけ合うもの。いつかの「想い」が誰かのためとなるように

​うんりょうふうこ

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更新日:2023年8月19日





算命学の生徒さんから頂いたご質問に回答している中で、たまたまわたしが「認識」していた命式(陰占)と、生徒さん自身が書き記されていた命式に相違がありました



命式が間違っている趣旨をお伝えしたら、何と急遽ネットで算出した無料の命式がそもそも間違っていたことが分かり、つまりとあるサイトの「命式」そのものが間違っており


どう間違っているのかといえば、生年月日の干支の「場所/位置」が全く以て真逆になってしまっていたのです


本来下記の通りです


【正】      

日月年

柱柱柱


【誤】

年月日

柱柱柱



算命学を学ばれてない方や、学ばれて日が浅い方は、なぜそんなことが大事なんだと思われるかもしれませんが




算命学は「天地」の森羅万象において「東西南北」という宇宙的な「方向」から、わたしたちを取り巻く、ありとあらゆる事柄を「方向分類」する学問のため



この万物の基点となる生年月日の「東西南北・中央」を書き記す「場所・方向・配置」が異なっているということは、その後に展開されるすべての「技術=法」がことごとく程をなさないことを意味しています


(それほどに根底から覆すほどの恐ろしい間違えだということです)


【命式の場所と意味】      

日月年

柱柱柱


【方向分類】 自分・南・北

西・中央・東



そしてそのサイトの運営者さんは、それを理解されていないようで、わたし個人としては他の方への影響を危惧しています



算命学は決して「自由な発想」が許されない学問で、それは確たる宇宙の「構造原理」の学問であるため、どんな思考や発想も必ず「構造原理」を踏まえて思考を展開させていく必要があるからです



つまり算命学に従事するわたしたちは「自分勝手な自由な発想」や「自然の摂理から外れた自分流の思考」の展開は許されていないため、まずはきちんと「型」を正確に自分のものにする





その型である「構造」を正確に理解することに努め、その「原理原則」を踏まえた上で、人を視ることが必要とされていますが、そのサイト運営者の場合、残念ながら「形無し」と言わざるを得ず



それを見られて、活用されている方がいらした場合は非常に誤解が多く「算命学」を謳っているだけに非常に残念なことです




(=命式の表示配列が間違っているため、その後に続く占技が応用出来なくなります)




ただ正直、世の中には正当な算命学とそうでないものがあるのが実状で



何を以てして正統かといえば、算命学は基本的には高尾義政宗家が世に出された(第12代万象学継承者である「呉仁和」氏から継承した古来より続く「万象学」の原理)ものをもってして「正当」というわけで


ご宗家なくして今日の日本での算命学の存在はあり得なかったわけですから、先人たちの功績を素直に受け止めつつ、算命学のさらなる発展のために最大限自分のエネルギーを寄与できればと考えています



わたしたちの生活の便利さ、これまで享受してきら教育・学問・文化のそのすべては「過去の先人の智の集積」によって、わたしたちの衣食住が「当たり前」のような姿で保たれているものです



わたしたちが「当たり前」をそのままに「認識」できるのも、過去の人々の功績のお陰であり、それは大抵、当時の「異端」や「革新」から繋ぎ出されていることが少なくありません(=龍高星)



地動説を唱えたガリレオが断罪されたのも当時の異端だったからですよね

わたしも自分事に置き換え、改めて背筋を正して道を極める所存です



どうか皆さんが「正当な算命学」とご縁がありますように




双蘭

閲覧数:15回0件のコメント

更新日:2023年3月9日




天中殺は「結果」が伴わない人生の冬の時期

2023年はいよいよ寅卯天中殺の2年目に突入しましたね


天中殺は2年目の方が天中殺現象がハッキリと出現するという法則性があり、この法則にもれず、近頃寅卯天中殺の方からのご相談が増えてきました



6種類ある天中殺グループは生年月日が該当する生まれた日の干支(日干)により導き出されるので、基本的に「西方=日干支」が持つ意味合い全般が中殺現象に遭うことになります



つまり西方=日干とは「現実の成果結果」にならず「結果の世界が形にならない」ということです


「日干」から導き出されるということは加えて、もともと自分が所有する「日干」の五行が天中殺の作用を大きく受けることで(=通常ある枠のリミッターが外れる)



本来の自分自身の「枠」が外れることの先において、「結果物事が美とならない」「良好な結果にならない」という現実がもたらされるということ他なりません



この時「日干」の五行が何か?ということの先に、天中殺現象を大いにもたらすことになりかねない危険をはらんでいるわけです


日干が「甲木」であれば何かしら「我を張った」「自分を貫いた」「さらに高みを目指した」果てに天中殺現象に向かったり、



乙木」であれば「周囲と歩調を合わせた」「人の意見に耳を傾けた」「長い物に巻かれた」「時代の主流に乗った」先において天中殺現象に向かったり、


丙火」であれば無意識に自分が放った言葉に端を発し「物事の火種」をもたらしたり(自覚なし)いつもであれば言い過ぎないのに思わず放った言葉が原因で勃発してみたり、



丁火」であれば、普段では良い方向へ物事を運ぶ「感性の良さ」が、個人的な感受性が際限なく広がった先において大局的な視点を大く欠き「執念深く」なってしまい天中殺現象に向かうことになったり、


戊土」であれば、何かを「引き寄せる」という「引力本能」の末に、あるいは「土性」のお金愛情や人に良かれと思って優しくしてあげたことの先に、天中殺の波乱がもたらされたり、



己土」であれば、コツコツ積み重ねて来た関係性や物事の先に、人情を大切ににた先の結果、それが「積み木崩し」に遭ったり


庚金」であれば、目的に向かって果敢に行動した先において、その行動力が天中殺現象を誘発するトリガーになったり


辛金」であれば「きちんと、しっかり」した形式にこだわり過ぎるあまり、あるいは「メンツ」に執着した先に人との争いや不協和音に発展したり


壬水」であれば「行動した」あるいは「考えを巡らせた」「新たな情報を取り込んだ」ことの先において何かしら天中殺現象を誘発したり


癸水」身内や親族、親しい間柄の中で、良かれと思って面倒をみた、干渉した先において、何かしら天中殺現象を誘発したりという様子です


つまり、これらのことは通常であればすべて本人の魅力であり、特徴であり、良さでもある「自分自身」そのものが、そもそも天中殺現象のトリガーになり得るということです


通常の「自分らしさ」の世界が、逆にここが天中殺の悪さとなり得る危険を孕(はら)むのが、後天的な天中殺期間の特徴ですね


わたし個人としては自分の年の天中殺(2年間)の天中殺に「本来自分の美徳や魅力」がことごとくすべて悪い方に転がった経験をした先に



「日干=西方=物事の結果の世界」が中殺を受けることの真意に、心底理解が至った経験があります


結果の世界(西方=日干)が天中殺の先に「自分らしさの果て」が「美」にならないという経験を経て、わたしたちは「お陰様の世界」を真に理解することが天中殺の価値と意味ですね



わたしも人として一回りも二回りも成長させてもらったのが天中殺です

怖がり過ぎることなくその奥にある「人生の真意」を探してみると思わぬ「宝物」が眠っているはずです


双蘭



閲覧数:39回0件のコメント

更新日:2023年2月20日








現実の躓きから學ぶ戌亥天中殺


最近は生徒さんの算命学の授業が「天中殺」に突入したこともあって、ブログでも天中殺について書き連ねています




前回、天中殺は「現実の躓き」を通して心が「精神的なものを考えるきっかけ」をもたらす、人生の道標だとご説明してきましたが





そんな中つい先日のこと、寝ぼけながら実家の階段をヨタヨタと降りていたところ、マンガに描いたように見事に足を滑らせ、生まれて初めて階段から滑って尻餅をついてしまいました(苦笑)





いや本当に笑えないくらい、声にならない激痛で、「イッタァッッ…………」という具合で正に一連の動きが漫画のようなスローモーションの世界で





この歳まで階段で足を滑らせることも無く無事に過ごせてたので、何だか新感覚です(驚)





注釈] 新感覚とは、突いた尻が「酷く痛む」の意味です





はて?どんなものが巡っていたのか?気になったので調べてみると東方の「納音-なっちん」でした

 



(一日の「スタート/東方」である起き掛けに転んだわけですから、東方の納音の影響でしょうか)





納音とは算命学でいうところの「位相法」という、わたしたちの人生にもたらされる「現実現象」をみる技法のことです





位相法は非常に重要で、これにより「どんな一年」となるのか?予測可能ですし、二人以上の人物の「相性」をみる際にも必要不可欠で、精神的なわたしたちの「心」の世界を抜きにして「現実現象」の行く末をみる際に活用します





さて、この「納音」は「対冲」の5倍 (5オクターブ)の破壊現象をもたらす位相法ですが、良し悪しではなく、良くも悪くも現実の「何かを納める」働きがあります





※対冲: 散法の一つ。現実に躓く現実を意味し、対冲が巡ると物事が上手く行き難かったり、上手くまとまらず、現実的に用心深さが生まれるため、逆に用心深く、何かを細かくまとめようとするには◯





自分の状況が悪い方に傾いている最中でしたら、その下降する現実現象を「納め」「リセット」する作用がある一方で、上昇気流に乗っている最中であれば、逆にソレを「納める」訳ですから、現実の好調さに終止符が打たれることになります





ビジネスオーナーでしたら東方(社会・仕事の場)に納音が廻ると、好調なビジネスの流れに波乱をもたらしますし、絶不調な運気にあっては「仕切り直し」に助けられるかもしれません





お気づきかもしれませんが、このように宇宙に「巡る・廻る」現実現象は吉凶はなく、あくまでも大自然の摂理からすると「中立」というバランスを保っていて





それが現実に生きるわたしたちからすると「主観的」に良し悪しに捉えられるといった構造になっています





わたしたちは少しでも長く幸せに「長寿」でありたいと望む一方で、何万何十万年もの命が続けば「まだ死ねない」とため息を漏らすかも知れません






現実の破壊の前の「前兆」

これまでは位相法(納音)についてお話していましたが、加えて天中殺別にみる「現実の破壊現象の前兆」というものがあります





横線の東西が「虚」となる寅卯天中殺と申酉天中殺、そして中央の足元の現実が「虚」戌亥天中殺の3種は「運が落ちる前」に必ずその前兆として、現実現象に躓いた後に、精神的苦難(精神的に思い悩む)に向かう、という構造的な法則があります





逆に、精神線である「南北の欠け」である子丑天中殺、午未天中殺、加えて「天上欠け」の辰巳天中殺グループにおいては、「精神的」な「心に傷を負う」できごとに端を発し、その後、現実苦が訪れるという構造をします






戌亥天中殺のわたしも、文字通りこの第一段階である「現実の躓き」の時点で、氣付くことに大きな意味がありますね




「足元を一歩一歩きちんと踏みしめ丁寧に生きよ」とのメッセージと受け止めて、また精進し直します





〔続〕





双蘭

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